ハッスル通信

12・30『ハッスル・マニア2008』開催記念企画!
ハッスラーに聞く“親子愛”とは? 【TAJIRI編】

2008年12月18日

“泰葉参戦”というビッグサプライズが炸裂し、まさに風雲急を告げている12・30『ハッスル・マニア2008』(有明コロシアム)。そんななか、2008年のハッスル年間ストーリーの集大成を飾るにふさわしいメインカードとして、“モンスターK”川田利明&川田父vsボノちゃん&グレート・ムタという、前代未聞の“NO.1親子決定戦”が、ついに正式決定! はたして、本当の“親子の絆”を証明し、2008年の“真の主役”の座を勝ち取るのは、一体どっちの親子なのか!? そこでハッスルオフィシャル取材班は今回、ハッスラーたちに「親子愛とは何か?」を聞いてみました! 記念すべきトップバッターを飾るのは、“ハッスル軍の参謀役”TAJIRIだ! TAJIRIが語る“親子愛”とは、はたして……!? それでは、ど〜ぞ!


■TAJIRI(ハッスル軍)
「子供に、“親父、うぜえな”って思われるくらいが、ちょうどいい」

──まずは、TAJIRIさんのご両親についてお伺いしたいのですが、お父様はどんな方でした?
TAJIRI 親父は、自動車の設計の仕事をしてたんですけど、とにかく一心不乱に働いている姿しか見てないんですよ。それで、親父といろいろ深い話ができるようになった頃には、もうすでに親父は他界しましたからね。

──お父様は、おいくつでお亡くなりに?
TAJIRI 僕が22歳のとき、すい臓ガンですね。で、僕は18歳で高校を卒業してから、大学進学でひとり暮らしを始めたんですけど、その3年前くらいから親父はアルコール中毒になってたんですよ。

──どんな人だったかも、よく分からなかった?
TAJIRI いまは、母親や兄貴からいろいろ親父の話を聞いて、「親父って、そうだったんだ」っていうことはあるんですけど、僕のなかで、親父のイメージがあまり確立されてないんですよ。あるとすれば、親父は、自分で会社を作っては潰し、作っては潰しで借金もいっぱい作ったんですけど、とにかく仕事ばっかりしてたってことぐらいかな。でも、そういう親父を見てるから、僕はひじょうに働く人間だと、自分でも思うんですよね(笑)。だから、ハッスル以外で、いま僕は漫画や小説の原作もやってるじゃないですか。そういう部分では、大きいメッセージを親父は僕に残してくれているんですよ。

──それ以外で、TAJIRIさんがお父様に影響を受けた部分は?
TAJIRI 僕は、3人兄弟で上とは4つ離れた末っ子だったんですよ。だから、親父にはあまり怒られなかったですね。だけど、親父と会話とかなんらかの接触を持つときは、とにかく怖かったっていうのはありましたね。でも、それでいいんじゃないかな。梶原一騎原作のマンガに出てくる父親って、みんな怖いじゃないですか。子供は親に意見もできないし、自分で思ってることも言えない。でも、僕はそれでいいんじゃないかなって思うんですよね。

──父親は絶対であると?
TAJIRI うん。そういう親父キャラを、ハッスルに出しても面白いですよね(笑)。そういうキャラを出して、また違った親子愛を見せるというのも、ひとつの手だとは思うな。

──では、お母様はどんな方でしたか?
TAJIRI そう言えば、親父が死んだ瞬間に、母親はホッと、すべての肩の荷が下りたような顔をしてましたね(笑)。

──お母様は、よほど辛かったんですかね(笑)。
TAJIRI まあ、そうだったんでしょうね(笑)。でも、よくドラマで、親が死んだときに家族が「お父さん!」って呼びかけるじゃないですか?

──確かに、よくあるシーンではありますね。
TAJIRI でも、実際はそんなんじゃないんですよ。まあ、うちの姉ちゃんなんかは、「お父さん、よく頑張ったね」なんて言って、泣いてましたけど、あれは絶対に芝居を打ってますよ(笑)。

──ちなみに、そのときのTAJIRIさんはどうだったんですか?
TAJIRI 僕は、親父が死ぬ間際に、なぜか頭のなかに浮かんだのが、アレナ・メヒコでシェン・カラスが入場してくるシーンだったんですよ(笑)。

──なぜだ(笑)。
TAJIRI ミラーボールがクルクル回ってるなかでシェン・カラスが入場してきて、しかも入場テーマ曲まで僕の頭のなかで鳴り響いてましたからね(笑)。親父との思い出が走馬灯のように駆け巡ったとか、そんなことはまったくなかったですね。でもまあ、逆に言えば、死ぬ瞬間まで親父は、「それでいいんじゃないの」って僕に教えてくれたような気がするなあ。

──では、TAJIRIさんがご両親にしてあげられたことっていうのは?
TAJIRI 僕は、物心がついたときから、家庭がそういう状況だったんで、大学のときに自分でお金を貯めて将来のためにメキシコに行ったりとか、夏休みや春休みのときも実家に戻らないで外国に行ったりとか、そういうことばっかやってた人間なんですよ(笑)。

──自由奔放だったと。
TAJIRI そうですね。でも、僕はそうすることで、家族みんなにとっても絶対にいいことに繋がる先行投資だと思ってたんですよね。だから、傍から見れば、僕は親不孝者だと思われるかもしれないけど、もし親父が死んだら、親父が作った借金を帳消しにするくらいの自信を、その当時から僕は持ってたんですよね。

──好きなことをやって、好きに生きることが、一番の親孝行になると。
TAJIRI 宮下あきらさんの漫画で『激!!極虎一家』っていうのがあるんですけど、主人公の虎が少年院に行く前に母親の墓の前で、「自分の思った通りに生きることが、産んでくれた人への最高の親孝行だと、俺は思うんだ!」みたいなことを言うシーンがあるんですよ。まさに、僕は虎と一緒ですよね(笑)。

──それでは逆に、2児の父であるTAJIRIさんのお子様との接し方についてお伺いしたいのですが。
TAJIRI 僕は、子供に対しては、細かいことは言わないようにしてますね。だけど、上の4歳のチビなんかは結構細かい性格なんですよ。だから、「男は細かいことを言っちゃ、いかん!」ってことは、よく言い聞かせてますね(笑)。

──子供の頃のTAJIRIさんは、父親に絶対服従みたいな環境で育ってきてるわけじゃないですか。その影響っていうのはないんですか?
TAJIRI 子供が嫌だと思うことでも、わざとやらせることはありますね。

──どういうことをさせるんですか?
TAJIRI 例えば、この前、夜中に突然、下の3歳のチビが「チョコボールが食べたい!」って言って泣き出したんですよ。それで僕は、「じゃあ、チョコボールをあげるから、そのかわりパパを笑わせろ」って言ったんですね。

──ポーカーフェイスのTAJIRIさんを笑わせるのは、ある意味で至難の業ですね(笑)。
TAJIRI それで、やっぱり考えてるんですよね。結局、何をやるのかと思ったら、「でんぐり返しをやる」って言い出して、でんぐり返しをしたんですよ(笑)。

──意表を突くチョイスですね(笑)。
TAJIRI だから、子供には、「何者かにならないと、世の中の人は誰も認めてくれないんだよ」っていうことを、小さいうちからちゃんと教えてますね。

──TAJIRIさんの理想とする父親像は?
TAJIRI いまは、「パパ! パパ!」って子供からなつかれてるけど、子供が年頃になったら、「あ〜、この親父、ホントうぜえな」って思われるのが理想かな(笑)。父親はそのぐらいがちょうどいいと思うなあ。

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